そこに何かがあった ― 生成画像時代の写真と存在

最近、また『写真論』と『明るい部屋』を読み返し始めた。読み返すといっても、やり方は昔ながらだ。画面上で目当ての一節を検索するわけでも、AIに問いを投げるわけでもない。本棚から実際に本を取り出し、一ページずつめくっていく。久しぶりにこういう読み方をしていると、少し感慨深い気持ちになる。

写真、2021年

少なくとも今の時代には、あまり意味のない行為に見えるかもしれない。指で触れたからといって、紙とインクがより多くの物語を語ってくれるわけではない。それでも不思議なことに、私はこれまで、写真の中の人や通り、部屋、光と影が本当に存在したのかを疑ったことがなかったように思う。写真家の意図を疑うことはできる。トリミングや選択、そこから組み立てられた物語を疑うことも、一枚の写真が嘘をついているのではないかと考えることもできる。だがAIがほとんどどんな画像でも生成できるようになって、私は初めて、それよりも根本的な問いをほとんど考えたことがなかったと気づいた。レンズの前にあったものは、かつて本当に存在したのだろうか。

もちろん、そこにあった。それが当たり前だった。光が誰かの顔に差したことがあり、誰かがある通りを歩いたことがあり、窓が開き、そよ風が吹いたことがあった。光はそれらに反射し、レンズを通り、フィルムやセンサーに痕跡を残した。その痕跡は後に現像され、スキャンされ、プリントされ、複製された。けれど、その瞬間そのものはとうに消えている。

今では、コンピューターに数行の言葉を入力するだけで、生まれたことのない人を、存在したことのない通りに立たせることができる。午後四時の光をその人の顔に当て、存在しないカメラでちょうどよい浅い被写界深度をつくることもできる。粒子を加え、ピントを外し、「シャッター速度が遅かった」ために生じたようなわずかなブレを入れることさえできる。かつてはフィルムやレンズ、カメラ、そして撮影者の失敗によって生まれた痕跡まで、正確につくり直せるようになった。その画像は、写真らしい外見をほとんどすべて備えている。欠けているのは、その瞬間だけだ。

『明るい部屋』を読み返し、私はバルトが写真の「かつて、あった」(that-has-been)と呼んだものに改めて目を向けた。写真が後にどう見られ、どう解釈されようとも、それが指し示す対象は、少なくとも一度はレンズの前にあった。もちろん、だからといって写真が嘘をつかないわけではない。

01 - Deep:深夜のフラッシュ

写真を始めた十年ほど前、露出が正確で構図が「正しい」だけでは、よい写真にはならないと気づいた。当時の私は、写真という行為を単に「撮ること」と呼び、画像は何でも「写真」だと思っていた。何かが違うという感覚はぼんやりあったものの、撮影はもっと家庭的で、日々の暮らしに近い行為だと考えていた。

写真を始めて二年ほどたった頃、今から八年ほど前に、このウェブサイトで最初のブログ記事を書いた。まだ拙い言葉で、Deepというプロジェクトについて書いた文章だった。その頃は森山大道のこともよく知らず、『The Americans』も知らなかった。ただ身体の感覚に任せて撮っていた。当時の私は仕事に失望した会社員で、午前三時になっても退社できないことがあった。ぼろぼろのフィルムカメラと、光量の足りないフラッシュを手に、一人で胡同を歩き回り、行き場のない感情をあてもなく吐き出していた。本当に何も分かっていなかった。今と比べれば、そこにあったのはむき出しの衝動と感情の発散、そしてどこにも置くことのできない、少しねじれた迷いだけだった。そのすべてが、声にならない叫びのようなフラッシュの一閃一閃に放たれていった。

Deepより、1Deepより、2Deepより、3

当時は自分でフィルムを現像できなかったので、撮影後、インターネットで見つけた名前も知らないラボに出した。温度管理が悪かったのか、埃の除去が不十分だったのかは分からない。戻ってきたフィルムはコントラストが強すぎ、粒子が荒れ、光漏れしているコマさえあった。どう見ても、よい現像とは言えなかった。ところがスキャン画像を見たとき、私はその失敗を気に入ってしまった。もちろん、もう誰にも同じ失敗をしてほしくはないのだけれど。写真の中に、深夜をさまよっていたときの孤独や息苦しさ、行き場のなかった感情を感じたからだ。見ているうちに、あの夜へ戻ったような気がした。

画像は静止し、音もない。それなのに、いつまでも騒がしかった。

自分が知っていた世界が変わってしまったようだった。昼間の胡同には人の声と生活の音があふれていた。車や自転車の行き交う音、料理をする音、言い争う声、走り回る子どもたちの気配。けれど夜が来ると、それらはようやく静まり返った。昼間のすべてが最初から起きていなかったかのように、別の鏡像世界へ入り込む。その静かな鏡像世界のほうが、むしろ真実のように感じられた。

その後、中平卓馬と森山大道を知り、失敗が一つの言語になり得ることを知った。「私写真」という考えに触れ、『写真よさようなら』や『私写真論』を読んだ。森山の撮り方と、彼が置かれていた時代背景について読むうちに、「ぼけ」「乱れ」「身体の本能的な反応」が持つ意味を、以前より深く理解できるようになった。その意味は模倣できない。技術的に似せることはできても、その内側まで再現するのは難しい。スタイルは具体的な時代と結びついているからだ。

彼(森山大道)は写真家としての職業倫理や表現意識に縛られず、当時、一貫して世界を直感的に捉えようとしていた。肉体、あるいはむき出しの身体性こそが、この写真行為の原点だった。「個人」の身体が持つ触覚を通して「即時の記録」を行おうとしたのであり、いわゆる「粗粒子」や「ブレ」の写真は、その欲望が必然的に生んだものだと言える。

こうして私は、写真とは何か、一枚の画像はどんな感情を抱え、どんな物語を語るのかを、おぼろげながら考え始めた。写真を単なる家族の記録とは思わなくなった。今となっては、あの頃のむき出しの衝動を取り戻すのは難しい。いわば「知識の呪い」なのかもしれない。それでも、事実から印象へ進み、その印象を通してもう一度事実を考え直すという過程は、深く記憶に残った。

02 - The Lost Marriage:写真が記憶できないもの

Deepの後、長いあいだ写真を撮る目的が見つからなかった。あの頃の衝動も苦しさも消え、残ったのは麻痺したような感覚と、毎日をやり過ごす本能だけだった。何もしていなかったわけではない。あてもなく街を歩き、いわゆる「巨匠」をまねてスナップを撮った。けれど、何をしてもシャッターを押したいという衝動は戻らなかった。なかには「よい」写真もあったのかもしれない。インターネットで「いいね」を集められそうな写真だ。それでも私には、何の意味もなかった。

その頃、一度故郷へ帰った。反抗期の若者のように家で何もせず寝転び、天井を見ながら、できるだけ何も考えないようにしていた。忙しく動き回る父の姿を見ているうちに、突然、家族についての写真プロジェクトをつくりたいと思った。後になって、行き詰まった写真家が家族や友人を撮ることで出口を見つけることは珍しくないと知った。そして私は、父と母を撮ろうと考えた。

両親は、私が十歳のときに離婚した。1997年の中国では、離婚は今ほど社会に受け入れられていなかった。離婚した家庭はしばしば「問題のある」家庭だと見なされ、離婚したという事実そのものが、どちらか一方に必ず「問題」や「欠陥」があることを意味するかのようだった。けれど十歳の私に残ったのは、ただ見捨てられたという感覚だった。

The Lost Marriageより、1The Lost Marriageより、2The Lost Marriageより、3The Lost Marriageより、4The Lost Marriageより、5The Lost Marriageより、6The Lost Marriageより、7

それ以来、私は「隠す」という技術を身につけた。感情が湧いても、何でもないふりをする。頭の中に小さな人がいて、感情を散らかった古着のように束ね、記憶の隅へしまい込んでくれる。そうすれば、何も起きなかった、何も存在しなかったことにできる。母が私の十歳のときに去ったのではなく、初めから母などいなかったかのように。

そんな感情を抱えて長い年月を過ごし、私はようやく父と母に聞いてみたいと思った。二人はあの時期をどう見ているのか。もう振り返ることもできないほどつらい記憶を、今どう受け止めているのか。

私の記憶の中で、父は厳格で、めったに笑わず、私の生活や勉強にとても厳しかった。母が去ってからは、「自分がこの子を一人前に育てなければ」という思いで、ずっと張り詰めて生きていた。何かあれば私たちは口論になり、父は人生にひどく悲観的だった。一方、母は私を育てる責任を負わなかったぶん、少なくとも若い頃は、父よりも気楽に暮らしているように見えた。たまに会いに来て、少しお金をくれるだけで、私は何日も幸せだった。改革開放以降、人々の暮らし方や考え方も変化していた。母は踊り、社交を楽しみ、自分の生活を持っていたが、私とはいつも距離を置いていた。

それから長い年月が過ぎた。二人とも悲しい過去をもう話したがらなかったが、私は何とか説得し、撮影を許してもらった。それぞれの「家」を行き来しながら、古いカメラで不器用に二人を撮った。楽しそうなときもあれば、悲しそうなときもあった。今も気持ちを手放せずにいることもあった。それでも写真を通して、私たちはそれぞれに、少しだけ救われたのだと思う。

二年ほど撮影を続けた後、このプロジェクトをThe Lost Marriageという一冊の本にした。少部数を自費でつくり、何冊かは友人に渡し、一冊は自分への贈り物として残した。

今その本を開くと、かつて存在した人、起きた出来事、残された記憶、笑いと涙、手放したものと手放せなかったもの、正しさと間違い――記憶の中にあるそれらの真実は、以前ほど重要ではないように思える。私は写真を使って答えを探しているつもりだった。だが後になって、写真は答えをくれなかったものの、ようやくその問いと向き合えるようにしてくれたのだと気づいた。

03 - エラーをつくる

The Lost Marriageを撮り終えた後、身体からすっかり水分が抜けたような気がした。いくらか肩の荷が下りた感覚はあったが、それ以上に疲れ切っていた。その後の数年間は、写真についての批評や文章に多くの時間を使うようになり、カメラを置いて、撮影をやめた。

撮らなかった時期に、私は現代美術史、とくに絵画の歴史を読むようになった。そして現代写真も似た問題に向き合っているのではないかと、少しずつ感じ始めた。すでにあるものを壊し、新しいものが何かも分からないまま、新しいものをつくろうとすること。写真家の友人のなかには、カメラを置いて絵を描き始め、別の媒体で画像表現を探る人もいた。実験的な作家たちは回路基板や電線で画像をつくり直し、映像や3D写真で奇妙な感覚を表そうとしていた。その頃、私もエラーによって「正しさ」を組み直そうとし始めた。

十年前、現像所が偶然、私のフィルムを傷つけた。十年後、今度はCMOSセンサーが壊れた。そのセンサーで撮ると、画像に不規則なエラーが現れた。十年前のエラーは、自分の知らないところで生じたものだった。今度は自分からエラーをつくり始めた。

故障したセンサーによる実験、1故障したセンサーによる実験、2故障したセンサーによる実験、3

コードを使って、いわゆる「正しい」「よい」写真を壊し、組み替えることを試した。視覚的な異物をつくり、見る人に問いを抱かせたかった。これは何の画像なのか。なぜこんなふうになっているのか。今のインターネットやデジタル画像と、どんな関係があるのか。

とはいえ、これらの写真は紛れもなくごみでもあった。私の写真であれ、友人の写真であれ、騒がしさから生まれるのは、やはり騒がしさだけだった。人目を引きたいという無意識の欲望を抱えて作品をつくっても、返ってくるのは軽蔑だけかもしれない。いつまでも「場違い」だった。

最初にフィルムへエラーが現れたとき、それは偶然だった。コードで大量のエラーをつくるようになったとき、それはまだエラーと呼べるのだろうか。それとも、複製可能なもう一つのスタイルになったのだろうか。

04 - 起きなかった瞬間

二、三年ほど前、生成AIが一般にも知られ始めた頃、私はAIを使い、写真のように見える画像をつくり始めた。当時の画像生成技術は、今ほど成熟していなかった。指の数が違う、顔のつくりがおかしい、建物の遠近法が明らかに破綻しているなど、多くのエラーはひと目で分かった。けれど不思議なことに、私はむしろ、そうした画像に生命力を感じた。

それまでエラー画像に惹かれてきたことと関係しているのかもしれない。フィルム現像の失敗やCMOSセンサーの故障、コードによる破壊が、もともと「正しかった」写真への新しい関心を呼び起こすことがあった。AIでは、エラーは写真の上に偶然起きるものではなく、画像そのものの一部になった。そもそも現代美術において、画像は作者の説明を受け身で待つだけのものではなくなって久しい。作品が完成すれば、見る人はそれぞれの経験や記憶、判断を持ち込んで理解する。ロラン・バルトの「作者の死」が少なくとも私に教えたのは、作品の意味は作者が最初に込めた意図の中だけにとどまるものではない、ということだった。

AIが生成した画像であっても、明らかなエラーがあっても、私たちはついそれを見て、解釈し、そこに何かの意味を探そうとする。

以前、AIに現代の中国人をめぐる、かなり不条理な画像のシリーズをつくらせたことがある。そこでは伝統、古いもの、ステレオタイプ、現代技術、今の暮らしが混ざり合い、簡単には分類できない視覚体験が生まれていた。

「中国人」にまつわる多くの視覚的なイメージが、それらの画像の中でこね合わせられていた。さらに興味深かったのは、その奇妙さ自体が、AIによる膨大なデータの学習と組み合わせ、確率にもとづく生成から生まれていたことだ。だから仕上がったものを見ても、それほど唐突には感じなかった。もともと複雑で、偶然性を含み、完全には見通せない過程から生まれた画像であり、見る人もまた、自分なりの理解と解釈によってその過程を続けていく。ある意味では、その不安定さそのものが作品の一部になっていた。

AI生成画像、1AI生成画像、2AI生成画像、3AI生成画像、4

ここで一つの疑問が生まれた。かつてカメラで一枚の画像を撮るとき、レンズの前にある対象が「存在」したかどうかを疑うことは、ほとんどなかった。それがある時間、ある場所に実際にあったのだと、私たちは暗黙のうちに考えていた。その後、写真はもちろん、ますます主観的なものになった。写真家は自らの経験や感情、判断を抱えて撮影し、暗室や後処理などを通して画像に手を加えた。見る人も、自分の経験にもとづいてまったく異なる解釈をするようになった。「存在」という考えの輪郭は少しずつ揺らぎ始めた。

カメラを画像を生産する技術的な装置だと考えるなら、AIもまた別の画像生成装置と見なせるのかもしれない。人はレンズ、露出、感光材料、カメラのプログラムを介して画像をつくる。今ではプロンプト、モデル、アルゴリズムを介して画像をつくることもできる。

このことは、私が画像を見るときの判断を変えた。

以前、一枚の写真を見たとき、それが「存在した」のかと最初から疑うことはなかった。今では、その疑いが先に立つ。どれほど自然に見える画像でも、私は考えてしまう。これは撮影されたものなのか。それとも生成されたものなのか。

05 - カメラの外へ

ここ数年の写真の変化を振り返ると、とくに写真賞や写真家自身による作品紹介の中で、技術的にどれほど「優れた」一枚かを示すよりも、複数の写真で物語を伝えようとする写真家が増えているように思う。少なくとも現代美術としての写真では、技術的に完璧な一枚だけが目標ではなくなっている。写真はシリーズやプロジェクト、写真集、あるいは異なる媒体を組み合わせた形で発表されることが多くなった。私たちは「この写真はうまく撮れているか」だけでなく、写真家がなぜ撮ったのか、どのように画像を構成したのか、そして最終的に何を指し示そうとしているのかも考えるようになった。

だからこそ、私はAIと生成画像についても比較的楽観的でいられる。

ヴィレム・フルッサーは『写真の哲学のために』で、カメラを一つのapparatus(装置)、つまり固有のプログラムと規則を持つ技術装置として捉えた。写真家はカメラを操作しているように見えるが、同時に、カメラが用意した可能性の中から選び続けてもいる。

The camera is programmed to produce photographs, and every photograph is a realization of one of the possibilities contained within the program of the camera.

シャッター、絞り、レンズ、フィルムやセンサー、そして現在のカメラ内部で行われるますます複雑な計算処理。そのすべてが最終的な画像の形成に関わっている。この考えをさらに進めるなら、AIとカメラは完全に対立するものではないのかもしれない。

現在、私たちはデジタルカメラを使っていても、その「ブラックボックス」の中で起きていることをすべて理解しているわけではない。設定を選び、シャッターを押し、装置が画像を生み出すのを待つ。生成AIを使うときも、目の前にあるのは複雑で、完全には見通せないシステムだ。プロンプトを与え、選び、調整し、判断することで、最終的な画像にたどり着く。

もちろん、カメラとAIが同じだという意味ではない。現代のカメラ内部でHDRや複数画像の合成、ノイズ除去、計算処理がどれほど行われても、ほとんどの場合、カメラは現実の対象に向き合わなければならない。光がレンズに入り、センサー上に記録をつくる。生成AIはこの過程を迂回し、現実には一度も存在しなかった場面を直接つくることができる。画像の生まれ方には、今も根本的な違いがある。

それでも、フルッサーのapparatus(装置)とprogram(プログラム)についての考えは、AIを別の角度から理解するきっかけをくれた。AIは必ずしも写真の反対側にあるものではなく、作り手が使うもう一つの装置になり得るのかもしれない。本当の問いは、もはや「これは写真なのか」だけではない。異なる装置が増え続けるとき、私たちはそれを使って何ができるのか。写真をさらにどこへ連れていけるのか。

Yet photographers do not play with their plaything but against it.

「写真家は単にカメラで『遊ぶ』のではない。カメラに抗して遊ぶのだ。」

壊れた写真を改めて見ると、この言葉が急に具体的なものになった。コードでエラーをつくったとき、私はすでに、装置が設計どおりに「正しい」写真を生産することに満足していなかった。別の何かを無理にでも生み出させようとしていたのだ。そう考えるなら、AIもまた、探り、時には抗うべきもう一つの装置になり得るのではないか。芸術としての写真は、もともと「シャッターを押す」という一つの行為だけに、いつまでも閉じ込められるものではないのかもしれない。

06 - 私もそこにいた

最近、家に子どもが生まれた。もう一度カメラを手に取り、子どもを撮っていると、以前は当たり前だと思っていたことを、思いがけず改めて感じた。

私はそこにいた。

子どももそこにいた。

その瞬間は、本当に起きた。

昔ながらの写真が持つこの「素朴さ」は、AIが最も置き換えにくいものでもある。写真が世界の真実を教えてくれるとは限らない。その瞬間が本当は何を意味していたのか、正確に説明してくれるわけでもない。何年も後に写真を見返すとき、私の記憶も感情も理解も、すっかり変わっているかもしれない。それでも一つだけ変わらないことがある。その瞬間は、かつて存在した。

いわゆる「伝統的な」写真が、今の私にはかえって大切に思える。それは古くさく、捨て去るべき、時代遅れの芸術ではない。AIは、決して起きなかった出来事の画像を私に与えられる。カメラが残すのは、私がかつて世界と関わった痕跡だ。シャッターを切った瞬間の出会い、実際に存在した人や物、そして長い年月を経てその写真にもう一度触れたときに生まれる感情のつながり。それらが私にとって、写真の最も大切な部分になった。

だから今は、以前より気軽にカメラを手に取り、考えすぎず、もっと自由に日々を記録したいと思う。写真をプリントし、もう一度手に取ると、その感触が、写真の中の瞬間は確かに存在したのだと教えてくれる。かつての苛立ちや痛み、息苦しさ、虚無感は存在した。自分の人生への迷い、両親の結婚について考えたこと、これからどう生きるのかを探ったことも、すべて存在した。

AIは画像表現の可能性をさらに広げ、写真とは何かを考え直す手助けをしてくれるかもしれない。けれど一人の人間として、撮ること、考えること、見返すこと、編集し、形にすること、その過程全体もまた、私がかつて世界と関わったことを記録している。AIによって私は初めて、起きなかった出来事の画像と真剣に向き合った。そして同時に、本当に起きた出来事の写真を、改めて理解するようになった。

今、私がもう一度カメラを手に取るのは、ただ一枚の画像を得るためではない。

それはそこにあった。そして、私もそこにいた。

HOW I LEARN - 森山大道

写真は毎回過去を超えなくてもいい。ただシャッターを切り続ければ、身体と感情が平凡な日常を生存の証へ変え、自己否定の中からもう一度生活へ連れ戻してくれる。

HOW I LEARN - ロバート・ラウシェンバーグ

廃棄物さえ芸術になるなら、写真は特定のメディウムに現実を記録するだけのものではない。自己反復を拒むことで、生活のすべてが新たな表現の可能性になる。

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岡本太郎『今日の芸術』を読みながら、芸術が存在する理由、本当の創造とは何か、なぜ私たちは「わからない」ことを恐れるのかを考える。芸術は専門家だけの特権ではなく、常識を破り、自由な自分をつくり直すための行為である。

ここにはいない——『静寂の深み』読書ノート

マーク・ストランドの『Hopper』を手がかりに、《ガス》《ケープコッドの夕暮れ》に描かれた光、距離、孤独を読み解き、絵画と写真、見ることの意味を問い直す。「私たちは、いったい何を撮っているのだろう?」

HOW I LEARN - ジョエル・マイロウィッツ

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HOW I LEARN - エゴン・シーレ

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鈴木達朗インタビュー

鈴木達朗はストリート写真、東京、そして人の顔をどう捉えているのか。日本写真の言語、会社を辞めた理由、都市の孤独、VoidTokyo、写真家に必要な新しい視点について語る。

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