# HOW I LEARN - 森山大道

> 写真は毎回過去を超えなくてもいい。ただシャッターを切り続ければ、身体と感情が平凡な日常を生存の証へ変え、自己否定の中からもう一度生活へ連れ戻してくれる。

- Language: ja
- Published: 2023-08-24
- Author: GuoJing
- Category: HOWILEARN
- Canonical: https://afterimage.photography/post/ja/how-i-learn-from-daido-moriyama

森山大道を改めて理解させてくれたのは、「粗粒子、ブレ、ボケ」というスタイルではなく、『記録』を支える素朴な生き方だった。毎回過去を超える必要はない。ただ撮り続け、意味より先に感情と身体を写真へ届かせればよい。

最近、また森山大道の『記録』を買った。

以前は買うたびに、日常を写したモノクロ写真にすぎないと思っていた。しかし自分が日常を撮ると、「なぜ森山大道はこう撮ったのだろう」といつも考える。気づかないうちに、確実に大きな影響を受けていた。個人的にはあまり認めたくないけれど（笑）、Bruce Gilden の影響のほうが強いと言う人もいる。しかしモノクロ写真家でありながら森山の影響をまったく受けないことも、たぶん不可能なのだろう（笑）。

私が「写真をやめた」「カメラを持たなくなった」と言っていた期間は、半年から一年ほどになる。最近また日常を記録し始めると、ふいに森山大道の匂いを感じた。*なるほど、結局逃れられないらしい。* 若い頃は、誰の影響も受けず、自分の見聞きしたものだけを撮ればよい、スタイルが似ても構わないと思っていた。数年撮り続け、かえって謙虚になった。やはり巨匠から学ぶべきことは多い。誰にでも若さゆえの傲慢はある。もちろん自分の写真が完全な模倣だとは思わないが、影が一つもないとも言えない。

![森山大道を思わせるモノクロの街頭写真](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/01-opening-street-photo-7825d0cb257a.jpg)

今日 HOW I LEARN - 森山大道を書くのは、最近『記録』に新しい感覚を持ったからだ。「昔の森山作品はよく知り、評価も定まっている」「しかし近年の『記録』は分からない」「日本の政治運動の空気が消えた今、森山はいったい何を撮っているのか」。同じように感じる人は多いだろう。私も二、三年、買いたいのに買いたくないという態度だった。最近ようやく決めたのは、突然『記録』が分かり、新しい感覚を得たからだ。

## 01 - 森山大道

森山大道は1938年10月10日生まれの日本の写真家で、モノクロのストリート写真と前衛写真誌『Provoke』との関わりで知られる。

写真家・細江英公——前衛写真家集団 VIVO の創設メンバーの一人——の助手として活動を始め、最初の写真集『にっぽん劇場写真帖』（1968）で注目された。1960年代の形成期の作品は、傾いた角度、荒い粒子、強いコントラスト、さまよう視線が生む動体ブレによって、戦後日本の都市生活の暗部と人間経験の粗さを、生々しく自由に捉えた。60、70年代の代表作の多くは、戦後復興と占領後の文化的動揺から読み解くことができる。

![森山大道のポートレート](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/02-moriyama-portrait-65f24d23a069.jpg)

1969年の「アクシデント」では、カメラの表現可能性をさらに試した。『アサヒカメラ』に一年間連載され、既存のメディア画像をカメラで複写した。1972年の『写真よさようなら』には『Provoke』の仲間、中平卓馬との対談が添えられ、メディウムを解体しようとする過激な試みが示された。

写真集は日本の写真家に好まれる発表形式だが、森山の出版量はとりわけ多く、1968年以来150冊以上を刊行した。重要機関での個展に加え、2012–13年には Tate Modern で William Klein との二人展が開かれた。2019年ハッセルブラッド国際写真賞、2012年国際写真センター Infinity Award など多くの栄誉を受けている。

![森山大道のストリート写真](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/03-moriyama-street-work-e2ecfd2c49e4.jpg)

本名は森山博道。1938年、大阪府池田市に生まれた。父の仕事で転居が多く、東京、広島、千葉、父方の故郷である島根で幼少期の一部を過ごし、十一歳頃に大阪へ戻った。

十六歳から二十歳までグラフィックデザインに携わり、二十代に友人から安価な Canon IV Sb を買って写真を始めた。大阪の岩宮武二のスタジオで働いた後、1961年に東京へ移り、憧れていた前衛写真集団と接触。やがて細江英公の助手となり、写真の実践と技術の基礎を多く教わったと語っている。

ところが助手として働いた三年間、自分の写真を一枚も撮らず、細江がしびれを切らして作品を見せるよう促すまで続いた。

1950、60年代に成長した森山は、1960年安保闘争に象徴される政治的混乱、経済復興と大量消費、戦後二十年に特有の急進的芸術を目撃した。『にっぽん劇場写真帖』（1968）は、普通の街角、ぼけた顔、鮮烈な看板、東京の急激な再建と残された廃墟、夜と都市の暗部まで、異なる主題を全面写真の眩暈のする連なりで示し、歴史的瞬間の興奮、緊張、不安、怒りを捉えた。題名どおり、醜くても壮麗でも、日常の光景に焦点を当てた。

![戦後日本の都市風景](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/04-postwar-japan-street-8ef530523f73.jpg)

## 02 - 重要作品

***以下は森山大道の初期作品である。よく知っている方は飛ばしても構わない。***

### A - 『Provoke』

1965年、雑誌『現代の眼』に人体胎児標本の連作「無言劇」を発表し、前衛詩人・寺山修司の目に留まった。寺山は実験演劇とエッセイの挿絵を依頼し、初期活動を支援するとともに、横尾忠則や中平卓馬らへつないだ。『Provoke』創設メンバー中平との関係から、森山は1969年より同誌に参加した。

短命ながら影響の大きい『Provoke』は、写真家の中平卓馬、高梨豊、評論家の多木浩二、詩人の岡田隆彦が1968年に創刊した。「アレ・ブレ・ボケ」を掲げ、土門拳のリアリズムに代表される欧州型報道写真や直接的商業写真へ応答した。日常の幻像は、世界を明瞭に映し、判別可能なイデオロギーを論証する写真を拒んだ。代わりに現実の断片性と、写真家のさまよう視線をあらわにした。

![『Provoke』期の『Eros』](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/05-provoke-eros-093d798c4dee.jpg)

森山の寄稿作にはエロティシズムと男性的主体性がしばしば結びつけられる。第二号の《Eros》（1969）は、粗粒子で傾いた画面に、ベッドで煙草を吸う裸体の女性を写し、逢瀬の余韻を暗示する。彼女は観客に背を向け、濃い影に囲まれ、カメラの眼差しに密やかで不穏な気配がある。

1968年の宣言は「イメージそれ自体は思想ではない。概念の全体性も、言語のような伝達コードも持たない。しかし、その不可逆的な物質性——カメラから切り離された現実——は言語に規定された世界の反対側を成し、時に言葉と思考の世界を挑発する」と述べた。『Provoke』は身体と即時性に集中し、真実、現実、視覚への前提を越え、写真の物質的な同一性と写真家、被写体、観客の役割を問う、現象学的遭遇を生む写真を肯定した。刊行は三号と『まずたしからしさの世界をすてろ——写真と言語の思想』（1970）のみだったが、各人は「Provoke の時代」と結びついた作品を発表し続け、国際展の主題にもなった。

> ガソリン染みの新宿の路上、冷たい光を反射する電話ボックス、地下街を亡霊のように漂う少女たち、半分闇に溶けたダンプカーの幌——中平卓馬が『Provoke』に発表し、後に『来たるべき言葉のために』へ収めた「都市の夜」では、客観描写と詩情が争い、エロティックと呼びたくなるほど強く人を引きつける。
>
> 政治的自覚を欠き、「社会正義、客観的真実」を価値とする写真に対し、中平は「世界の中にいる私の即時的記録」で応えた。自己満足的な「表現」と「伝達」の意味を根本から問い直し、「何にも勝る自己主導の生存の中で、他の誰でもなく自分自身へ差し迫る現実に直面する。私のドキュメントはそこから始まる」と宣言した。

### B - 「アクシデント」

![森山大道の「アクシデント」シリーズ](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/06-accident-series-92871344d812.jpg)

1968年、森山はマスメディアの画像を素材に「等価性」を主題とする制作を始めた。東京の駅で、周囲に散らばる新聞の一面すべてに Robert F. Kennedy 暗殺の記事を見て衝撃を受けたことが発端だという。報道写真の媒介性に関心を持ち、中平との対談で、この経験が「一枚の写真に付着した価値観を否定する」決意につながったと述べた。

Lyndon B. Johnson が北ベトナム爆撃停止を発表するテレビ画面、Richard Nixon の大統領選勝利直後の報道写真、殺害されたベトコン兵士の遺体、Kennedy の画像などを複写した。カメラを現実を複製して「等価物」を生む装置と考えることで、原写真、反復されるニュース画像、自分の版、最初の出来事の距離を取るに足らないものにした。十二部の連作は文章とともに『アサヒカメラ』へ掲載され、運命の予測不能性と人間経験の脆さを語り、カメラが「悲劇の可能性はすでに周囲へ浸透している」と暴く力を持つと信じた。

> 私にとって記録とは、まず生きている一瞬一瞬の即時的記録である。その制約の中では自閉的で、自分への執着を断つところから始まる。しかし私は歴史から自由にはなれず、言葉の正しい意味で「状況化」されている。自閉的記録は必然的に社会化され、その直接反射は歴史と政治へ映る。いや、状況を表面化させる結果だからこそ、まず記録しなければならない。

### C - 『写真よさようなら』

![『写真よさようなら』](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/07-farewell-photography-171e874894ff.jpg)

1972年4月刊行の『写真よさようなら』は、1970年大阪万博に象徴される文化・経済復興と、1970年安保闘争の敗北、日米安全保障条約更新に示される左翼政治への圧力が続く時代に生まれた。

題名どおり、視覚的主題から、写真そのものの偶然性と生成力へ重点を移した。廃棄フィルムの縁、埃、光漏れ、ネガのパーフォレーション、フィルム銘柄といった物理的残滓とイメージ制作の物質性を強調し、写真家、カメラ、像の指標的関係、写真を現実の指示物とする慣習を揺さぶった。

![『写真よさようなら』のフィルムの縁](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/08-farewell-film-frame-13d77a126afa.jpg)

![『写真よさようなら』の光漏れと粒子](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/09-farewell-light-leak-c13bb8cc799d.jpg)

![『写真よさようなら』に残るフィルムの物質性](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/10-farewell-film-strip-4e80968dec8f.jpg)

## 03 - 『記録』

『記録』は森山大道の「現在」の作品であり、今も最新版を買える。私は43号と51号を購入した。試し読みを見て気に入り、すぐに決めた。

> 2006年、長年協働してきた AKIO NAGASAWA の長澤章生が、新宿の喫茶店で森山に「『記録』を続けませんか」と唐突に尋ねた。「『記録』……あの『記録』？」森山は驚いた。
>
> 「そう、あの『記録』です」と長澤は答えた。
>
> 問いは三十四年前の記憶を呼び戻した。1972年、森山はちょうど三十四歳で、日本写真界に名を得ていた。過激で衝撃的な『写真よさようなら』を発表し、写真界を揺るがしたが、傑作は同時に越え難い壁を築いた。頂点の後の彷徨は予告されていたようだった。
>
> 忙しい雑誌仕事が生活を埋め、撮影は日常の一部となり、写真への感情も落ち着きを失っていった。

過去作に詳しい愛好家でも、『記録』を自分の言葉で語りにくい。**これは失語であり、森山のスタイルを本当に理解していないということだ。** 私は意識的に模倣しなかったのに、いつしか似た写真を撮り、「山は山にあらず」から再び「山は山」へ至る過程を経験した。《Deep》を撮った頃、森山をほとんど知らなかった。残業後の深夜の路地で、怒り、無力感、迷いを解き放っていただけだ。現像の失敗も重なり、ぼけ、露出過多、粒子が生まれた。友人に「森山大道みたいだ」と言われ、初めてこう撮る人がいたと知った。

![筆者の《Deep》シリーズ 1](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/11-deep-series-one-d1eb6dd19847.jpg)

![筆者の《Deep》シリーズ 2](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/12-deep-series-two-7924e9af5c74.jpg)

*上の二枚は私が撮影した《Deep》である。*

《Deep》の撮影と見た目は偶然で、スタイルとは呼べない。今再現しようとしても、あの純粋な粗さは作れないだろう。

当時学び始めても、本当には理解せず、表面的に写真の感情を感じただけだった。少し好きになり、継続して見るようになった。

![森山大道『記録』の写真](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/13-record-series-photo-d022b601d3e7.jpg)

その後、自分の生活を撮り、「私写真」を知って『私写真論』を買った。森山の方法と時代背景が語られ、「ぼけ」「混乱」「身体的本能反応」の意味をより深く理解した。その意味は模倣できない。技術的には似せられても、内面は時代と結びついており、極めて再現しにくい。

> 写真家の職業倫理や表現意識に縛られず、彼は直観的に世界を捉えようとした。肉体、裸の身体性こそ行為の原点だった。「個人」の身体的触感による「即時記録」を求め、「粗粒子、ブレ」の写真はその欲望の必然的産物だったと言える。

壁にぶつかるたび写真集を大量に買い、森山の本も思い出した。そこで彼が今も撮り、『記録』を何十年も続けていると知った。

最初はぱらぱら眺め、「こんなものか」、昔よりよくないと感じた。自尊心もあったのだろう。棚へしまい、その後も買わなかった。「世界は変わるのに作風は変わらない。芸術家は永遠には革新できないのだろう」と思っていた。今なら、私が森山と『記録』を深く理解していなかったと分かる。

> シャッターを切るとき内なる声を聞き、自分と対峙したが、写真を発表する場がなく、無力と残念さを感じた。二年前の『Provoke』は情熱を放出できた。休刊会議で反対したのは森山だけだったが、解散を止められなかった。急進的姿勢は変わらず、その舞台を失った。
>
> そこで自ら小冊子を出版し、経験と像をつなごうとした。宣言はなく、一冊十六頁、固定テーマもない。好きな作品を集め、自らデザイン、編集し、簡素に『記録』と名づけた。
>
> 『記録1号』は1972年7月刊行。後に西井一夫へ文章を依頼した。自由度の高い形式は緊張した現実に抗う力となったが、一年後また休刊へ向かう。5号刊行時、世界的石油危機で印刷費が三倍となり、継続できなかった。五号だけでも、生命を記す短い歴史として無意味ではない。
>
> 数十年後、森山は低迷を越え、国際的写真家になった。2006年、長澤の後押しで6号を再刊し、毎年二〜四冊、不定期に蓄積した写真をまとめる営みとなった。彼は飽きることがない。
>
> 「どの号も生存の証で、大切です。『記録』は電気、水道、ガスのような必需品。『記録』があるから、毎日を元気に生きられる。」

## 04 - 「現在性」と誤読

![『記録』に写された現代の街](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/14-contemporary-record-61859d3ce51e.jpg)

過去の森山には「政治の季節」「身体的本能反応」、そして「社会正義、客観的真実」を掲げ政治的自覚を欠く写真への対抗という言葉がある。今日の『記録』には語る言葉が足りない。政治の季節も、本能的反応も、対抗すべき「正義」の写真もないため、意味のない写真集に見える。批評は変化と鋭さ、自分の視点と議論の方向を失う。昔の定義を現在へ当てはめれば、行き止まりに感じるのも当然だ。

壮大な美術史や理論を外せば、多くの写真は確かに単純で、写真に不慣れな観客には美しく見えにくい。大半には強い美があるが、それを見るには訓練が要る。普通の人には無意味な乱写にしか見えず、『記録』ではその感覚がさらに強い。身近で常に起きる、どこにでもある瞬間に「森山風」を加えても芸術性が自動的に上がるわけではなく、芸術的境界を拡張していないように見える。

だから「昔の写真は好きだが『記録』は分からない」という感覚は、ごく自然だと思う。

しかし『記録』の現在性こそ距離を消すのかもしれない。「現在性」は今この瞬間の経験と存在、感覚、思考、知覚、環境との関わりに注目する概念だ。私たちも、森山の写真も「現在」にいる。日本のコロナ禍の記録などを見ると、その時代と物語が自分へ直結し、異質さと距離が消えてしまう。

![コロナ禍の『記録』](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/15-pandemic-era-record-cf44733fb78e.jpg)

人は「芸術作品」に崇拝的距離を求め、近すぎる距離はその言葉を壊す。北京の胡同の住民なら、芸術家が撮影や設営をしても面白い芸術とは思わず、工事がうるさく近所を散らかすと反発するだろう。遠いアメリカの読者には、胡同と現代芸術の融合はとてもクールに見える。

現在性が森山ファンを失語させる。過去の『Provoke』を再び当てはめられず、芸術家をスタイル化し、ラベル化する「内容」も見つからないからだ。

## 05 - 巨匠から学んだこと

### A - ただ記録すればいい

![『記録』の何気ない街の瞬間](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/16-record-street-moment-0ff1d554d67c.jpg)

今風に言えば、この一年「写真のインポテンツ」になった。カメラを持ちたくなく、持っても何を撮るか分からない。「今日こそ過去よりよく撮れ」「よくできないなら撮るな」という声が離れなかった。以前、小さな賞をいくつか得た。「自己を繰り返さない」という気持ちと強い自己拒絶で、すべてを駄作と見なした。実際には悪くない写真も、自己否定によって受け入れ難いごみに変わる。長期の苛責が情熱を奪った。

***カメラを持つ理由は喜びではなく、責任になった。***

だから一年、撮らなかった。

機材好きの悪癖もあった。再び森山の作品に出会い、彼が Nikon AX900 や AX1000 を使ったことを思い出した——実際は借りたカメラなら何でも使い、こだわらない——それなら似たカメラで気軽に撮ろうと AX1000 を買い、コンパクトカメラとスマートフォンで楽しく撮り始めた。少しは機材を選び、Sony RX100 VII も買った。ピントが速いから、と自分に言い聞かせた。

![気軽な記録に使うコンパクトカメラ](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/17-compact-camera-28d89a2ab18d.jpg)

新しい機材で気持ちも変わり、広角の歪み、望遠の画質、手ブレを気にしなくなった。撮れるなら撮る。成長、コンテスト、意味、期待を考えず、好きに撮る。ごみでもいい。自分が撮りたいものを撮ればいい。

***ここまで来て、突然森山大道が分かった。***

![筆者の日常写真 1](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/18-daily-photo-one-ea94ed571b99.jpg)

![筆者の日常写真 2](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/19-daily-photo-two-08dc1a89a2ab.jpg)

![筆者の日常写真 3](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/20-daily-photo-three-e1fcd9dfa5a9.jpg)

![筆者の日常写真 4](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/21-daily-photo-four-18702658e616.jpg)

![筆者の日常写真 5](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/22-daily-photo-five-4b5f9c963d15.jpg)

（私の写真を見るのは久しぶりかもしれない。笑）

食事中にカメラでもスマートフォンでも撮り、ノイズも露出も気にしなかった。本能的に記録したかったから記録した。帰宅後見ると意外によいものもあり、『記録』の意味を突然理解した。

> 内なる声を聞き、自分と対峙して撮ったのに発表の場がなく、無力と残念さを感じた。『Provoke』休刊に反対したのは森山だけだったが解散を止められず、急進的な創作の舞台を失った。
>
> 数十年後、森山は低谷を越え、国際的に注目される写真家となった。

森山にも頂点と低谷があり、『記録』は低谷での自己救済だった。そして私も泥沼から救われた。

### B - 内容より感情

私は撮影へ高く不合理な要求を課した。成長は一気に起きないのに、自称の頂点から自分で仕掛けた谷へ落ちた。撮るたび「なぜこんなに愚かなんだ」「もうよい写真を撮れない」と自分を殴りたくなり、情熱を持つ他人を羨み、「情熱さえ失った」と責めた。

***もう終わりだ！***

『記録』を見て撮りたくなり、妻、犬、通勤路の信号など何でも撮った。焦点距離、ISO、シャッター、絞りを考えず、すべて「AUTO」と**偶然性**へ任せた。

仕事も生活も苦しく、煙草や酒のような逃げ場もなかった。その年の北京は雨が多く、午後には黒雲が覆い、息苦しかった。空き時間にただカメラで乱写すると、気分が少しよくなった。苦しさを時間の断片へ切り、別の空間へ送り、封印するようだった。一枚は感情の折り畳みであり、不満の爆発だ。撮るほど不満は爆発し尽くし、感情は畳まれ、すっきりした。

取るに足らない自由な撮影は、自己と存在の時間的アーカイブであり、魂にある感情の切片でもある。

![感情のアーカイブとしての日常写真 1](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/23-emotional-archive-one-18dd23dbb94c.jpg)

![感情のアーカイブとしての日常写真 2](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/24-emotional-archive-two-9c510b41792d.jpg)

ここでようやく『記録』を完全に理解したと言える。すぐ最新号を注文し、写真を見るのを待った。ただ見られれば、それでよかった。

![『記録』の写真 1](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/25-record-book-one-02aaa1a73d7f.jpg)

![『記録』の写真 2](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/26-record-book-two-1b93d61dad45.jpg)

![『記録』の写真 3](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/27-record-book-three-887738de0316.jpg)

![『記録』の写真 4](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/28-record-book-four-f5466cb66df1.jpg)

![『記録』の写真 5](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/29-record-book-five-b86fcda33ae9.jpg)

![『記録』の写真 6](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/30-record-book-six-7ec633636bfb.jpg)

![『記録』の写真 7](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/31-record-book-seven-b7b7bc55e0ac.jpg)

![『記録』の写真 8](https://afterimage-images.sgp1.cdn.digitaloceanspaces.com/duidui/2026/08/32-record-book-eight-cbee2359bb7b.jpg)

観客が具体的な感情を知らなくても、画面から迫る感情の張力は否定できない。避けることも振り払うこともできない力だ。

やはり巨匠は巨匠だ（笑）。

## 06 - まとめ

1. 撮る。気軽でいい。ただ撮り、撮り続ける。
2. 目的を優先する。焦点距離、画質、絞り、シャッター、ISO にこだわらず、欲しいものが写ればよい。目的のためなら大胆にトリミングしてもいい。
3. 感情を注ぐ。本能的感情で撮り、身体の力と内なる欲望を信じる。
4. 一つのスタイルを続ける。森山は数十年続けることで新しいスタイルを作り、全作品に共通言語を与えた。
5. 写真集を出す。撮り続け、出版し続ける。

## 07 - 関連資料

1. Wikipedia
2. 『私写真論』
3. 『森山大道と中平卓馬の対談』

[森山大道 関連動画 1](https://www.youtube.com/watch?v=foWAs3V_lkg)

[森山大道 関連動画 2](https://www.youtube.com/watch?v=LxGmcEFtvDA)
